人気ブログランキング | 話題のタグを見る

常夏の庭


幻想の常夏の庭でぼんやりしたい。  写真ブログはこちら→http://blog.livedoor.jp/kororogi/
by Kororogi2
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

(水)曇りのち夜に雨  「全文引用」 20013年4月23日

ほぼ日刊イトイ新聞というサイトがありまして、巻頭に糸井重里さんが毎日エッセイを書いてます。それはバックナンバーでは読めない一日だけの掲載なので、コピペで前文引用しちゃいます。

****************

20013年4月23日(火)今日のダーリン

・いつごろからか、何度となく何度でも言ってますが、
 「ひとりでいるときの顔が想像できない人」というのは、
 どうも信用しづらいと思っています。
 しかし、考えてみれば、
 「想像できる」ってのはこっちの主観なのだから、
 「想像できない」とか言われて信用されない人にすれば、
 えらい迷惑な話ですよね。ごめんごめん、です。
 
 ただ、「ひとりでいる」という時間を、
 ちゃんと持っているかどうか、は、
 ものすごく大事なことだとは、強く思っています。
 いわゆる「職人」だとか、
 「作家」「芸術家」などと言われる人たちの場合、
 「ひとりでいる」時間が、ものを産み出す時間です。
 人に命令されるわけでもなく、じぶんと向き合う時間。
 その時間の積算量が、ぼくにはとても大事に思えます。
 
 もうじき、『土屋耕一のことばの遊び場。』という本が、
 出るのですが、この本、文字通り遊びでいっぱいです。
 遊びなのだけれど、この遊びを遊んでいる間、
 作者は、ずっとひとりでいたんだなぁと気づくのです。
 「軽い機敏な仔猫何匹いるか」という回文が完成するまで
 どれくらいの時間がかかったのかは、知りません。
 しかし、時には息を詰め、時には首をかしげながら、
 ああでもないこうでもないとやっていた時間は、
 まさしく「ひとりでいる」ことであったはずです。

 それは、エッセイを読んでいても、
 つくづく感じることです。
 土屋耕一さんが「ひとりでいる」状態で、
 まだ見ぬ読み手を想像しながら、
 書く人の目玉、読む人の目玉をしょっちゅう交換しつつ、
 考えや思いの往復をしていった跡が、
 文章になって残ったのでしょうね。
 回文の遊び方と同じような気配を感じてなりません。
 
 「ひとりでいる」時間、
 その時間にこそ出会うじぶん自身という他人。
 思えば、毎日、こうして拙い文を書いている時間も、
 毎夜毎夜の「ひとりでいる」時間でしたね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ひとりとひとりが出会って、力を合わせるのも好きですよ。

*************

一人で何かをしている時間が大切といっても、適性の問題というのもあるわけで、そちらの方が得意な人は毎日でもやってしまう。得意でない人は出来ないし、無理にやるのは苦痛ではないか???
人は一人では生きられない、社会を作る動物だからね。
私は一人で何かを作る(文章でも絵でも写真でも物体でも音楽でも植物でも食べ物でも何でも。)のが好きだしそういうことやってる人ばっかりが友達なので、やらない人のことは良くわからないかもしれない。

糸井さんはおそらく両方得意なんでしょう。努力もさることながらね。
無休で働いてるし。
でも社長ですから。自営業なら無休で働いてもダイジョブです。

by kororogi2 | 2013-04-24 23:31 | 日記
<< (金)晴れ 「面白いもの」 (日)晴れ 「台風一過のような」 >>